尊敬される国民 品格ある国家(1)

ある人から勧められたので、この本を読んでみました。

尊敬される国民 品格ある国家 (WAC BUNKO)

昭和5年生まれの渡部昇一氏と岡崎久彦氏の対談形式になっています。この世代は、戦前の偉大な日本の記憶もあるし、戦争に引き込まれていったプロセスも、敗戦の屈辱も悲惨も、また戦後の解放感も、焼け跡からの復興も知っている。わずかのことで戦場には出なかったので、かえって「敗れて腰が抜けた」ような日本人にもなっていない。占領軍や日教組の反日的教育も受けていない。「こういう世代は貴重なんだ」と岡崎氏。日本近代史についての、お二人の洞察がおさめられていて、私も「目からウロコ」となりました。
以下、本の中から一部ダイジェストしておきます。

【歴史教育の問題】
広島県というのは日本の中で最も日教組の勢力が強いところだそうです。彼らが学校の歴史授業で使う副読本には、日本の歴史が何から何まで否定的に書かれているそうです。ことに戦前の日本人はすべて軍国主義者で、好戦的な国民であったかのごとき記述がえんえんと記されている。スターリンの「三二年テーゼ」に忠実な内容です。生徒たちは、こうした歴史を学校で教えられているわけです。こうした歴史教育が繰り返されているかぎり、日本という国の品格が向上することは望めない、と渡部氏は指摘しています。日本の学校では、自分たちの先祖の偉大さを教えるどころか、逆に暗黒面だけをことさらに強調した教育が行われている。日本人としての自尊心を若いうちに根こそぎにしてしまっている。自国の歴史に誇りを抱いていない人間は、どこの国でも尊敬されません。これからの日本外交を考えるうえで、まず前提になるのは教育を正常な形にすることではないか。今のような教育を続けていれば、日本は国際社会で三流市民の扱いをされかねません。

日教組教育の特徴を一言で言えば、物事の善悪を人間性に立脚して考えるのではなく、権力に抵抗したかどうか、戦争に反対したかどうかだけで裁く教育です。人間教育ではなくて、イデオロギー教育を日教組は目指した。たとえば日露戦争にしても、もし日本が負けた場合、どのようなことが起こり得たのかをいっさい触れないで、ひたすら戦争をした明治の日本政府を好戦的と断罪するわけです。もちろんロシアの領土欲など最初から問題にもしない。また、「君死にたまうことなかれ」と歌った与謝野晶子は反戦的だから偉いと教える。しかし、与謝野晶子があんな歌を作っても政府から弾圧されなかったという事実や、明治憲法下の言論の自由については触れない。これこそイデオロギー教育です。

日教組教育の源流にあるものとは何か。これは大きく言って、二つあります。一つはマッカーサーの占領政策であり、もう一つはコミンテルンの「三二テーゼ」です。つまり、アメリカとソ連の影響がそこにあるわけですが、ともに共通するのは、徹底的に日本人および日本という国の過去を否定し、日本の歴史を暗黒に塗り潰してしまおうという意図があったということです。アメリカのマッカーサーは、東京裁判という一種の魔女裁判を行って、戦前の日本を全否定しようとしました。また、占領軍を批判したり、あるいは戦前の日本の行動を正当に評価しようとする動きを徹底的に言論統制した。占領時代、言論の自由は戦前よりもはるかに厳しく統制されたのです。またGHQの思惑に沿わない人間は、すべて公職を追放されました。日本の教育界においてもマスコミにおいてもそれは同じで、「東京裁判史観」に追従する人が中心にデンと坐ることになった。それと同時に大きな力を持ったのが、国際共産党組織コミンテルンが1932年、日本共産党に発したテーゼです。このテーゼでは明治維新以来の日本の歴史が徹底的に叩かれていて、その内容をそっくり日本の左翼は金科玉条として受け入れました。これが今日まで生きているわけです。

スターリンのソ連は日本を内側から弱体化させるために、日本の歴史をことさらに暗黒に描いてみせた。それを戦後の左翼も信じ続けた。そしてその左翼が教育界を牛耳ったために、日本史がさらに真っ黒に塗り潰されるようになったというわけです。しかも物を書く人たち、いわゆる戦後の「進歩的文化人」たちは、万一、日本に共産革命が起こったときに粛清されぬよう、スターリンのテーゼに沿って、文章を書きまくった。そして、この進歩的文化人の文章が一流新聞の紙面を占領し、また一流と言われる出版社から出されたわけです。今の若い人たちは信じないでしょうが、終戦直後には日本で共産革命が起こるという話にそれなりのリアリティーがあったのです。

2013-07-28 | Posted in No Comments »