尊敬される国民 品格ある国家(2)

前回の続きです。

尊敬される国民 品格ある国家 (WAC BUNKO)

岡崎:戦中派世代の人の特徴を抽出するとすれば「自分は戦争を知っている」という思いがあるわけです。しかし、あえて言わせていただければ、それは大きな間違いなんです。たとえて言うなら、戦中派世代というのは潰れかかった会社に入って、下積みの辛酸を嘗め、役付きになる前に会社が潰れた人たちです。こういう人に対して、会社の経営を聞いても分かるわけはありません。会社で苦労した経験しかないから「仕事は辛いもんだ」という印象しか持っていない。今の70歳台、80歳台の人たちの戦争体験談は、そういうものだと思って聞く必要があるわけですね。兵隊に行って、ぶん殴られているうちに負けてしまったんだから、「戦争は辛い」と言うにきまっているんです。いわば、戦争呪詛派と言ってもいいでしょう。この世代の人はなまじ経験があるから、かえって戦争についての歴史的事実を知らない人が多い。むしろ、今の若い人たちのほうがいろいろ知っているのではないでしょうか。軍隊に入ってしまえば、外で何が起こっているのか分からない。また、兵隊は政治のことを知らないほうがいいとされていたわけですから。だから、「戦争を知っている」と称してもハル・ノートの内容さえも知らない人がいても、不思議じゃないんです。もちろん、この世代の人たちが戦後、猛烈社員となって働いてくれたから、今の日本経済の繁栄があるのも事実です。私もこのことを過小評価するつもりは毛頭ありません。しかし、この世代の人たちは、自分の経験だけを尺度にして「あの戦争はよくなかった」と言い、「中国の人に対して、ひどいことをした」と言うわけです。事実としては、たしかに中国の人に迷惑をかけたでしょう。しかし、その一方で、なぜ日本が戦争に突入せざるをえない状況に追い込まれたか、その歴史的事実ぐらいは知っていなければ戦争を語る資格はない。ところが、この世代の人たちは自分たちの経験や見聞だけを絶対基準にしているものだから、そういうところまで目が向かないのです。かつてビスマルクは「愚者は体験に学び、余は歴史に学ぶ」と言ったと伝えられています。もちろん、自分の肌で体験してえた知識は大事ですが、それだけに頼ると思わぬ判断ミスをする。やはり、賢者たらんと思えば歴史に学ぶことを忘れてはいけないのです。

この層のもう一世代上、つまり現在90歳以上の人は、まるで違います。この前の戦争を大局高所から見ているし、リアルタイムでそのプロセスを経験しているから、何が何でも謝ってしまおうという判断は絶対に出てこない。だから、この世代の人たちが現場で活躍していた時代には、謝罪の問題など外交案件にならなかったわけです。そして、この世代の人たちがだんだんと去って行った時代に起こったのが教科書問題なのです。

渡部:私も岡崎さんも、昭和5年(1930)年の生まれで、もちろん戦争に行かなかったけれども、あの戦争のことはリアルタイムで知っていたという感じがあります。まだほんの小学生でしたが、日米交渉の行方がどうなるかなんて、わがことのように心配しながら毎日、新聞を読んでおりました。だから、戦後になって日本はアジア侵略の戦争をしたんだなどと言われると、「そんな馬鹿な話があるか」とすぐに反応するわけです。アメリカが真綿で首を絞めるようにして、日本の石油輸入を干し上げたから、日本が東南アジアに出ていかざるをえなかったことは、当時の小学生にもよく分かった話です。考えてみれば、前線の兵隊さんよりもわれわれ小学生のほうが、たしかに戦争全体のことは見えていたでしょうね。

岡崎:われわれの世代は兵隊教育も受けていないし、戦後も日教組が盛んになる前に大学に通いました。だから、悪く言えば「無教育世代」ということになるんでしょうが、要するに誰も指導してくれなかったから、自分で本を読んで、自分で考えるしかなかった。それがかえってよかったのでしょう。あの教科書問題のときに、戦争呪詛世代と日教組世代がぴたりとタッグを組んだ。そして、中国に対しては何が何でも謝ってしまうのが、正しいのだという雰囲気が政府内に生まれた感じがあります。これがそのまま続いた結果、今の謝罪外交やら、教科書の従軍慰安婦問題が生まれたと言ってもいいでしょう。そもそも従軍慰安婦なんて、常識で考えてみれば、中学生に対して教えるべき話ではありません。セックスにまつわる話を、大学ならともかく中学校の教室で堂々と語るなんて、誰が考えても、まともな人間の考えることではありません。今、90歳以上の人たちが現役として健在だったら「それが教科書に載せるような話題か」と一喝されておしまいですよ。まして、事実認定そのものが怪しい話ですから、何をか言わんやです。ところが、そうした健全な常識さえも今や通用しなくなってしまいました。日教組がイデオロギー教育にしか価値を置かず、人間形成なんて考えもしなかった。だから、まともな常識判断が出来ない人が出てきても不思議ではありませんが、これでは「品格」どころの話ではありません。

↑ このあたりのやり取りは、とても興味深かったです。

2013-07-29 | Posted in No Comments »