永遠の0

2013年12月に映画公開決定ということで、「永遠の0」を読んでみました。

本屋大賞を受賞しており、250万部突破のベストセラーだそうです。

本屋さんでも、かなり目立つ場所に沢山、置いてありました。

永遠の0 (講談社文庫)

ぜひ一読してほしい本です。

朝日新聞は、この作品の作者・百田尚樹氏を筆頭に挙げて、

「日本で小説やドラマなどの右傾化が進行中」などど、

ネガキャンを行っているようです。

ほんとに、アホらしい。

「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の捏造記事を書いて広めた、

左翼・朝日新聞のやりそうなことです。

どう読んだって、家族への愛とか、仲間を助けたい気持ちとか、

そういったことが書いてある小説ではないですか。

天皇のために死のうとしたのではない。

本当は生きたいが、愛する家族を守るためと思って、

死んでいった人たちの話ではないですか。

日本の伝統的な文化、歴史、国民性をことごとく中韓の言うがままに捏造し、

貶めることは、中韓に利するところはあっても、日本に利するところは、

まるでありません。

ジャーナリズムの風上にも置けない朝日新聞は、

国民に糾弾されるべきだと思います。

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2013-08-10 | Posted in No Comments » 

 

尊敬される国民 品格ある国家(2)

前回の続きです。

尊敬される国民 品格ある国家 (WAC BUNKO)

岡崎:戦中派世代の人の特徴を抽出するとすれば「自分は戦争を知っている」という思いがあるわけです。しかし、あえて言わせていただければ、それは大きな間違いなんです。たとえて言うなら、戦中派世代というのは潰れかかった会社に入って、下積みの辛酸を嘗め、役付きになる前に会社が潰れた人たちです。こういう人に対して、会社の経営を聞いても分かるわけはありません。会社で苦労した経験しかないから「仕事は辛いもんだ」という印象しか持っていない。今の70歳台、80歳台の人たちの戦争体験談は、そういうものだと思って聞く必要があるわけですね。兵隊に行って、ぶん殴られているうちに負けてしまったんだから、「戦争は辛い」と言うにきまっているんです。いわば、戦争呪詛派と言ってもいいでしょう。この世代の人はなまじ経験があるから、かえって戦争についての歴史的事実を知らない人が多い。むしろ、今の若い人たちのほうがいろいろ知っているのではないでしょうか。軍隊に入ってしまえば、外で何が起こっているのか分からない。また、兵隊は政治のことを知らないほうがいいとされていたわけですから。だから、「戦争を知っている」と称してもハル・ノートの内容さえも知らない人がいても、不思議じゃないんです。もちろん、この世代の人たちが戦後、猛烈社員となって働いてくれたから、今の日本経済の繁栄があるのも事実です。私もこのことを過小評価するつもりは毛頭ありません。しかし、この世代の人たちは、自分の経験だけを尺度にして「あの戦争はよくなかった」と言い、「中国の人に対して、ひどいことをした」と言うわけです。事実としては、たしかに中国の人に迷惑をかけたでしょう。しかし、その一方で、なぜ日本が戦争に突入せざるをえない状況に追い込まれたか、その歴史的事実ぐらいは知っていなければ戦争を語る資格はない。ところが、この世代の人たちは自分たちの経験や見聞だけを絶対基準にしているものだから、そういうところまで目が向かないのです。かつてビスマルクは「愚者は体験に学び、余は歴史に学ぶ」と言ったと伝えられています。もちろん、自分の肌で体験してえた知識は大事ですが、それだけに頼ると思わぬ判断ミスをする。やはり、賢者たらんと思えば歴史に学ぶことを忘れてはいけないのです。

この層のもう一世代上、つまり現在90歳以上の人は、まるで違います。この前の戦争を大局高所から見ているし、リアルタイムでそのプロセスを経験しているから、何が何でも謝ってしまおうという判断は絶対に出てこない。だから、この世代の人たちが現場で活躍していた時代には、謝罪の問題など外交案件にならなかったわけです。そして、この世代の人たちがだんだんと去って行った時代に起こったのが教科書問題なのです。

渡部:私も岡崎さんも、昭和5年(1930)年の生まれで、もちろん戦争に行かなかったけれども、あの戦争のことはリアルタイムで知っていたという感じがあります。まだほんの小学生でしたが、日米交渉の行方がどうなるかなんて、わがことのように心配しながら毎日、新聞を読んでおりました。だから、戦後になって日本はアジア侵略の戦争をしたんだなどと言われると、「そんな馬鹿な話があるか」とすぐに反応するわけです。アメリカが真綿で首を絞めるようにして、日本の石油輸入を干し上げたから、日本が東南アジアに出ていかざるをえなかったことは、当時の小学生にもよく分かった話です。考えてみれば、前線の兵隊さんよりもわれわれ小学生のほうが、たしかに戦争全体のことは見えていたでしょうね。

岡崎:われわれの世代は兵隊教育も受けていないし、戦後も日教組が盛んになる前に大学に通いました。だから、悪く言えば「無教育世代」ということになるんでしょうが、要するに誰も指導してくれなかったから、自分で本を読んで、自分で考えるしかなかった。それがかえってよかったのでしょう。あの教科書問題のときに、戦争呪詛世代と日教組世代がぴたりとタッグを組んだ。そして、中国に対しては何が何でも謝ってしまうのが、正しいのだという雰囲気が政府内に生まれた感じがあります。これがそのまま続いた結果、今の謝罪外交やら、教科書の従軍慰安婦問題が生まれたと言ってもいいでしょう。そもそも従軍慰安婦なんて、常識で考えてみれば、中学生に対して教えるべき話ではありません。セックスにまつわる話を、大学ならともかく中学校の教室で堂々と語るなんて、誰が考えても、まともな人間の考えることではありません。今、90歳以上の人たちが現役として健在だったら「それが教科書に載せるような話題か」と一喝されておしまいですよ。まして、事実認定そのものが怪しい話ですから、何をか言わんやです。ところが、そうした健全な常識さえも今や通用しなくなってしまいました。日教組がイデオロギー教育にしか価値を置かず、人間形成なんて考えもしなかった。だから、まともな常識判断が出来ない人が出てきても不思議ではありませんが、これでは「品格」どころの話ではありません。

↑ このあたりのやり取りは、とても興味深かったです。

2013-07-29 | Posted in No Comments » 

 

尊敬される国民 品格ある国家(1)

ある人から勧められたので、この本を読んでみました。

尊敬される国民 品格ある国家 (WAC BUNKO)

昭和5年生まれの渡部昇一氏と岡崎久彦氏の対談形式になっています。この世代は、戦前の偉大な日本の記憶もあるし、戦争に引き込まれていったプロセスも、敗戦の屈辱も悲惨も、また戦後の解放感も、焼け跡からの復興も知っている。わずかのことで戦場には出なかったので、かえって「敗れて腰が抜けた」ような日本人にもなっていない。占領軍や日教組の反日的教育も受けていない。「こういう世代は貴重なんだ」と岡崎氏。日本近代史についての、お二人の洞察がおさめられていて、私も「目からウロコ」となりました。
以下、本の中から一部ダイジェストしておきます。

【歴史教育の問題】
広島県というのは日本の中で最も日教組の勢力が強いところだそうです。彼らが学校の歴史授業で使う副読本には、日本の歴史が何から何まで否定的に書かれているそうです。ことに戦前の日本人はすべて軍国主義者で、好戦的な国民であったかのごとき記述がえんえんと記されている。スターリンの「三二年テーゼ」に忠実な内容です。生徒たちは、こうした歴史を学校で教えられているわけです。こうした歴史教育が繰り返されているかぎり、日本という国の品格が向上することは望めない、と渡部氏は指摘しています。日本の学校では、自分たちの先祖の偉大さを教えるどころか、逆に暗黒面だけをことさらに強調した教育が行われている。日本人としての自尊心を若いうちに根こそぎにしてしまっている。自国の歴史に誇りを抱いていない人間は、どこの国でも尊敬されません。これからの日本外交を考えるうえで、まず前提になるのは教育を正常な形にすることではないか。今のような教育を続けていれば、日本は国際社会で三流市民の扱いをされかねません。

日教組教育の特徴を一言で言えば、物事の善悪を人間性に立脚して考えるのではなく、権力に抵抗したかどうか、戦争に反対したかどうかだけで裁く教育です。人間教育ではなくて、イデオロギー教育を日教組は目指した。たとえば日露戦争にしても、もし日本が負けた場合、どのようなことが起こり得たのかをいっさい触れないで、ひたすら戦争をした明治の日本政府を好戦的と断罪するわけです。もちろんロシアの領土欲など最初から問題にもしない。また、「君死にたまうことなかれ」と歌った与謝野晶子は反戦的だから偉いと教える。しかし、与謝野晶子があんな歌を作っても政府から弾圧されなかったという事実や、明治憲法下の言論の自由については触れない。これこそイデオロギー教育です。

日教組教育の源流にあるものとは何か。これは大きく言って、二つあります。一つはマッカーサーの占領政策であり、もう一つはコミンテルンの「三二テーゼ」です。つまり、アメリカとソ連の影響がそこにあるわけですが、ともに共通するのは、徹底的に日本人および日本という国の過去を否定し、日本の歴史を暗黒に塗り潰してしまおうという意図があったということです。アメリカのマッカーサーは、東京裁判という一種の魔女裁判を行って、戦前の日本を全否定しようとしました。また、占領軍を批判したり、あるいは戦前の日本の行動を正当に評価しようとする動きを徹底的に言論統制した。占領時代、言論の自由は戦前よりもはるかに厳しく統制されたのです。またGHQの思惑に沿わない人間は、すべて公職を追放されました。日本の教育界においてもマスコミにおいてもそれは同じで、「東京裁判史観」に追従する人が中心にデンと坐ることになった。それと同時に大きな力を持ったのが、国際共産党組織コミンテルンが1932年、日本共産党に発したテーゼです。このテーゼでは明治維新以来の日本の歴史が徹底的に叩かれていて、その内容をそっくり日本の左翼は金科玉条として受け入れました。これが今日まで生きているわけです。

スターリンのソ連は日本を内側から弱体化させるために、日本の歴史をことさらに暗黒に描いてみせた。それを戦後の左翼も信じ続けた。そしてその左翼が教育界を牛耳ったために、日本史がさらに真っ黒に塗り潰されるようになったというわけです。しかも物を書く人たち、いわゆる戦後の「進歩的文化人」たちは、万一、日本に共産革命が起こったときに粛清されぬよう、スターリンのテーゼに沿って、文章を書きまくった。そして、この進歩的文化人の文章が一流新聞の紙面を占領し、また一流と言われる出版社から出されたわけです。今の若い人たちは信じないでしょうが、終戦直後には日本で共産革命が起こるという話にそれなりのリアリティーがあったのです。

2013-07-28 | Posted in No Comments » 

 

国家の命運

昨日は、この本を読みました。

国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント

以前読んだ約束の日 安倍晋三試論の続編ですね。
「約束の日」は、第1次安倍内閣の誕生から退陣までのことが書かれていますが、「安倍の葬式はうちで出す」という、朝日新聞幹部の発言から始まる衝撃的なものでした。国民は、マスコミにまんまと騙されていたのです。私も、安倍晋三は政権を放り出したという印象がありました。しかし、じつは就任してわずか1年の間に多大な功績を成し遂げたのにも関わらずマスコミが一切それを報道せず、安倍内閣のスキャンダル探しや安倍氏に対するイメージダウンを狙った悪質な偏向報道、異常なまでの民主党持ち上げがなされていたことがわかりました。それで、私も目が覚めたのです。

今回の「国家の命運」は、第2次安倍内閣ができるまでの様子とそれ以降のことが書かれています。2012年夏、自民党の総裁選で安倍晋三が候補として急浮上したわけですが、当時の私はまだ事情をよく知らず、(なんで、また安倍晋三が担ぎ出されたんだろう)と思っていました。しかし、自民党の人たちが「安倍さん以外にいない」と言っているところや、秋葉原の演説にたくさんの人が詰めかけていたということは、なんとなくテレビで見ていました。その後、いろいろと勉強して、私の意識も大きく変わったわけです。昨年亡くなった政治評論家・三宅久之氏は、党首討論で安倍氏が当時の野田首相から解散を勝ちとったことを見届けてから亡くなられたんですね。

あと少しで日本は崩壊するところでした。「ギリギリ間に合った」今回の安倍政権。何としても、この国難を打開していってもらいたいものです。

2013-07-13 | Posted in No Comments » 

 

死刑執行人サンソン

久しぶりに、衝撃的な漫画を読みました。パリで代々、死刑執行人を務めるサンソン家四代目当主シャルル・アンリ・サンソンを題材にしたものです。


イノサン 1 (ヤングジャンプコミックス)

人々から死神と忌み嫌われ、しかしそれでも死刑執行人は世襲制のため、その運命から逃れることができない一人の無垢な青年。
あまりにも残酷で、先日私が見た「人を食べる夢」と同じような後味です。夢が現実を引き寄せるのか、現実が夢を引き寄せるのか、なんとも不思議ですが、先日の夢とのつながりを感じました。

ところで、この漫画は、こちらの本を出典としています。


死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人は、普通の人間には耐えきれないような重荷を背負って職務を遂行しなくてはならないのです。敬虔なカトリック教徒であり、国王を敬愛していたにも関わらず、国王と王妃をはじめ、犯罪人とされる人たちを殺さなくてはならなかった主人公シャルル・アンリ・サンソン。誰でも、自分の手で処刑なんかしたくない。しかし、法の名のもとに、誰かが職務を遂行しなくてはならない。そのことであまりにも重すぎる人間としての罪を、死刑執行人は一人で背負ってしまうのです。

また、それまで残虐な拷問や処刑がなされてきたため、フランス国民は、死刑囚に無益な苦しみを与えないように迅速かつ確実に死に至らしめる機械「ギロチン」を作り出します。それが人道的な方法だと考えたのですが、ギロチンはあまりにも簡単に人を殺すことができる機械でもあったため、後に大量に人が処刑されてしまうことになってしまいます。

シャルル・アンリは、死刑制度が廃止されることを願っていましたが、フランスで死刑制度が廃止されたのは1981年。彼が亡くなって、175年後のことでした。

死刑制度について、考えさせられる内容でした。

2013-06-26 | Posted in No Comments »