父のこと

父の死で私が失敗したこと その3

他にも、いろいろとありました。

職場に気を使いすぎたこととか。

本当は、もっと早めに実家に帰りたかったんですが、

すでにシフトが決まっていたので、変更すると

みんなに迷惑をかけるという思いがありました。

「仕事とか、そんなこと言ってられないかもしれないよ」

「とりあえず、すぐに帰った方がいいかもしれないよ」

と忠告してくれた方が、二人いました。

人生経験が豊富な人の声は、聞いておくべきですね。

また、いざ親が危篤となると、パニックになって

何をしたらいいかわからなくなるものです。

一度、そうした状況を想定して、自分の中で具体的に

シュミレーションしておくと、いいかもしれません。

危篤の知らせを受けた人がいたら、まわりの人も本人に

どうしたらいいか指示をしてあげるとよいと思います。

本人は、なかなか冷静に考えることができませんから。

以上、いろいろありますが、一番大切なのは、

親が年をとってきたら、できるだけ会いに行ってあげる

ということですね。

それが一番の親孝行なんだと思います。

2012-11-17 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父の死で私が失敗したこと その2

【6】ガンになったことがあり、その後、かなり体調が悪くなった場合、


医者が「原因がわからない」と言っていても、それはガンの再発の


可能性があることを覚悟しておいた方がいいと思います。

私の父は、4年前に胃ガンの手術を受けました。

胃の3分の2を切除して、他への転移もなかったため、

その後は、定期検査を受けていました。

今年に入ってから、腸の状態が悪化して、

あまり物が食べられないようになりました。

しかし、今年の4月の定期診断では、転移はない

という診断結果でした。

それでも、父の具合は悪くなるばかりです。

5月に近くの個人病院に入院して点滴を受けましたが、

退院しても状況は少しも良くなりませんでした。

その後、まったく食べられなくなってしまったので、

今年の9月、救急車を呼んで入院しました。

しかし、救急車の中で、かかりつけの病院に電話が

つながらなかったため、家の近くの福岡徳洲会病院に

入院することになったのです。

診断結果は「腸閉塞」で、毎日、点滴の日々でした。

ガンの転移はないとのことでした。

私は、いろいろ調べて腸閉塞は治る病気だと思いました。

しかし、入院しているにも関わらず父の病状は悪化しました。

腸を膨らます治療を受けていたのですが、

今まで物が食べられずにペチャンコだったお腹が

今度はパンパンに膨らんできたのです。

腹水がたまっているということで、うちでは治療できなから

他の病院へ行ってほしいと言われました。

1回、腹水を抜こうとしたらしいのですが、

父は、腸をいじられて、とても痛かったそうです。

退院する時には、自分の意思で排便を調整することが

できない状態になっており、オムツなしではいられない

状態になっていました。

入院して、さらにひどい状態になって退院させられるって、

こんなひどいことがあるでしょうか。

10月1日に、かかりつけの福岡赤十字病院へ入院しました。

腹水がたまっていたのではなくて、腸が膨らんでいた

状態だったそうです。

検査後、人口肛門の手術をするかもしれないという話でした。

検査は、2週間以上かかりました。

ところが、肺に穴が空いていることが分かったため、

全身麻酔ができず、手術はできないということになりました。

父は、手術ができれば食べられるようになると

希望をもっていたので、落胆したようです。

そして、腸のまわりのあちこちに

ポツポツと何かあると言われました。

腸がねじれていて隠れているため、

もっと調べないとわからないが、ガンの転移の可能性を

この時、初めて言われました。

その後、病名は「癌性腹膜炎」と診断されます。

腸の中ではないが、外側のあちこちにガンが転移しており、

すでに末期の状態。

余命3ヵ月、半年もつかどうか。

手術もできないし、治療の施しようがないので、

今月中に退院して自宅静養するか、ホスピスに入れるか

選択するように言われました。

それが、亡くなる1週間か10日くらい前だったと思います。

それまで、ずっと転移はないと言われていたのに、

亡くなる直前に、末期のガンを宣告されたのです。

後から聞いた妹の話によると、父は絶望して、

「先生、安楽死させてください」

と頼みこんだそうです。

この頃から、父は「死にたい、死にたい」と言っていたようです。

そして、私が福岡に帰る予定の前日に容態が急変。

29日の0時15分に息を引き取りました。

最後は、あまりに急展開で、余命3ヵ月から一転して

余命2~3日へ。

そして容態急変から半日も経たないうちに、

父は息を引き取ってしまったのです。

ガンの末期と宣告された時点で、すぐに飛んで

帰るべきでした。

2012-11-16 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父の死で私が失敗したこと その1

今回、私は父の死にあたり、いくつかの失敗をしました。

私のような思いをする人が一人でもいなくなるように、

私の失敗点について、まとめておきたいと思います。

とくに、以下のような方に、ご一読頂ければと思います。

★親元から遠く離れて暮らしている

★仕事が忙しい

【1】 緊急連絡先として、携帯電話だけでは不十分です。

私は、仕事がものすごく忙しい時に母から電話があったため、

電話をとることができませんでした。

お店に電話がかかっていたら、すぐに父が危ないことを

知ることができたはずです。

そうしたら、その日の飛行機にも間に合ったでしょう。

お店の電話番号が入った名刺を渡していましたが、

家族はいつも私の携帯にかけていましたので、

思いつかなかったと思います。

携帯は、どこかに忘れてきたり、電源が切れたり、

つながらないこともありますね。

携帯電話以外の連絡のとれる電話番号を、

家族に知らせておくことです。

【2】交通機関の最終便を調べておきましょう。

車で行ける距離なら、夜中にタクシーを飛ばすこともできます。

しかし、飛行機とか新幹線でないと行けない距離にある人は、

最終便を調べておくことです。

私は、羽田→福岡間は、21時とか22時くらいまで

あるかと思いこんでいました。

今すぐに調べておいてください。

【3】親は、子供に心配をかけまいとします。

親が言うより、もっと悪い状況であることも多いと思います。

子供の立場からしても、親がそんなに悪い状況とは

信じたくないという思いもありますから、

どうしても楽観的に考えようとする傾向があります。

親は、子供を気づかって「ムリしなくていいよ」と言っても、

本当は、すぐに会いたいというのが本音でしょう。

親の思いをくみ取ってあげることが大切だと思います。

【4】複数の人から状況を聞いた方がいいです。

母は、毎日のように、私に父の病状を電話で伝えてくれましたが、

もともと説明するのがうまい方ではないですし、

とくに病院の先生からの話については、自分がよく理解できなかったり、

うまく伝えきれない部分もあったようです。

一人の人からではなく、できるだけ複数の人から状況を

聞いておいた方がよいと思います。

人の見方によっては、「危ないから、すぐに帰った方がいい」

と強く言ってくれる人もいるかもしれません。

【5】本人が葬式のことを言い出したり、「死にたい」と言い出したら、

本人が自分の死期を予感しているということです。

すぐに飛んで帰った方がいいと思います。

「死にたい」ということは、人生に絶望しているのです。

早く楽になりたいということです。

すぐにそばに行ってあげなくてはならない状況だと思います。

※次は、病気や病院に関することで長文になるため、

ここでいったん止めておきます。

(つづく)

2012-11-16 | Posted in 父のこと2 Comments » 

 

東京節パイノパイノパイ

小さい頃、父が私によく歌っていた
「くーみちゃんったら、ギッチョンチョンでパイノパイノパイ音譜
という意味不明な歌ですが、この曲がYou Tubeにありました。

→ 見れない方は、こちら
「パイノパイノパイ」とか「東京節」というそうです。
大正時代を代表するコミックソングの作品で、
東京という土地に愛着を示しながらも
それを可笑しく表現した特徴的な歌です。
大正8年(1919年)にリリースされました。
原曲は、アメリカ南北戦争末期に作られた「ジョージア行進曲」。
日本では、すでに明治時代から楽譜は販売されていて、
いろんな歌詞があったようです。
なんか聴いているだけで楽しくなる歌ですねニコニコ
エノケンとか、いろんな人たちがカヴァーで
歌っていたようです。
大正から昭和初期にかけてのレトロな雰囲気が出ていて、
いいですよね音譜
「くーみちゃんったら、ギッチョンチョン」と歌っていた父も、
まさかその娘が東京に行っまま帰ってこなくなるとは、
想像もしていなかったでしょう。
まだ父のことを思い出すと、涙が出てくるんですが、
元気を出して、がんばりたいと思います。

2012-11-13 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父の死 その7

父の死について語るのは、このへんで終わりにしようと思います。

三女は、私にこう語ってくれました。

「お父さんは、くみちゃんのことを一番、信頼してた。

くみちゃんが家に帰ってきて、また家族みんなで

暮らすことが、お父さんの夢だった」

ささやかな夢だったのに、私は、それを叶えることを

しませんでした。

家族は好きだったけど、私は自分の生き方を貫こうとしました。

東京に行くと言った時に、父は泣いて引きとめました。

父の涙を見たのは、あの時くらいです。

でも、私の決心が固くて止めらないことを知ると、

父はできるだけのことをしてくれました。

一生懸命、いろいろやってくれたのに、

親孝行が間に合いませんでした。

私は、自分の人生の一番の目的を失いました。

それさえできたら、私は死んでもいいと思っていたのに。

最後まで、本当に苦労のしどおしの人生でした。

もっと要領よく生きている人は世の中にたくさんいるのに、

父は、なんて不器用な人だったんでしょう。

この世で、こんなに私のことを愛してくれた人はいない。

心からそう思います。

まごころと家族を私に与えてくれて、

本当にどうもありがとう。

大好きな、お父さん!

2012-11-11 | Posted in 父のこと2 Comments »