父のこと
父の形見
今日から、いつもどおり中華街のお店に戻って、
お仕事をしています。
私が福岡に帰ることになっていた日の前日に
父は容態が急変して、そのまま帰らぬ人となってしまい、
私は父の死に間に合いませんでした。
あと一日で会えるところだったのにと思うと、
悲しくてなりません。
絶対、会えると信じて疑っていなかったのに…。
父も、私に会うのを心待ちにしていたと思います。
父の葬儀の翌日、家でいろんな手続きをしていた時、
なんか寒いな~と思って、何気に部屋の隅に置いてあった
服を手にとって、着てみました。
「…あれ? これ、見たことある。
私がお父さんに買ってやったのじゃない?」
と言うと、妹が
「そうよ。お父さん、今回入院した時も
『これ、持ってきといて、よかったぁー』
『これ、軽くて、よか~』と喜んでて、
最後、死んだ時も、それを着てたよ」
と教えてくれました。
それを聞いた時に、ぶわっと涙があふれてきました。
それは、私が5~6年前に父に買ってあげた、フリース素材で
綿入りのふかふかの部屋着でした。
とっても安物なんですが…。
肩と脇のところが破けていましたが、入院中、父は
これを着てくれていたのだそうです。
母が、「お父さんは、死ぬ時も久美ちゃん(私の本名)
と一緒におったとよ」
と言ってくれて、私はとても父に感謝しました。
今回、悔やまれることばかりだった親不孝娘でしたが、
このことで少しだけ救われました。
たぶん、あまりにも後悔と悲しみに沈んでいる私を見て
父がこの部屋着の存在を教えてくれたのではないかと
思います。
ところで、この部屋着は、やけにボロボロでした。
父はポケットにちりがみを突っ込んでいて、
母がそれに気づかずに洗濯機で回してしまったのです。
私は、一生懸命、毛玉やら、ちりがみのカスを
時間をかけて、手でとっていきました。
やっときれいになり、母が
「あんたは、マメやね~」と感心していましたが、
私は、父の遺骨に向かって、
「もう、お父さん、なんで死んでまで、こんなに
世話をかけると!? ほんと、手がかかるねぇー」
と、言ってみせました。
すると、母がいきなりゴホンゴホンと咳こみます。
「お母さん、大丈夫!?」
と言うと、
「ばか、あんたが食事中に笑わすから…、ゴホンゴホン」
と言って、しばらく咳きこんでいました。
私は、18才で家を出たこともあり、父から何回か
手紙をもらいました。
今では、それが父の形見になるかなと思っていましたが、
この部屋着も、父の形見にしようと思いました。
父の一番苦しい時にそばにいてやれなかったから…。
せめて、父が最後に着ていたこの部屋着を
大事に持っていようと思います。