父のこと

父の命日

今日は、父の命日です。

一昨日の27日(日)に家族で集まり、一周忌を済ませました。

早いものですね。

26日に福岡に帰ったのですが、その日は一番下の妹と

同じ部屋で寝ました。

私は前日、3時間しか寝ておらず、爆睡していました。

ところが、明け方に妹が長い寝言を言っていたので、

目が覚めたのです。

何を言っているのかはわからないんですが、

悲しげに何かを切々と訴えているのです。

妹は人間関係に悩んでいて、前日も相談に乗っていたので、

よっぽど悩んでいるんだなぁーと思って胸が痛みました。

おそらく、相手に自分の気持ちを訴えているんだろうと…。

そのまま起こさないで寝ようとしたのですが、

隣の部屋から妹の声を聞いた母が、

「どうしたと? なんか声が聞こえたけど」

と入ってきました。

そこで、妹も目を覚ましたのです。

私が、妹が寝言を言っていたことを伝えると、

「え? ほんと!?」

と、妹は自覚がなかった様子。しかし、

「今、お父さんの夢を見てた。お父さんが、ニコニコ笑ってた」

と言うのです。

「じゃあ、お父さんに自分の気持ちを訴えてたのかもね」

と話しました。

父が亡くなってから49日までの間、妹はたびたびこの部屋で、

金縛りにあうことがあったり、人がいるような感覚があったり、

父の夢を見ることがあったようです。

父が、一番下の妹のことを一番心配していたので、

おそらく心配して、見に来ていたのでしょう。

その時に、よくお布団を引っ張られる感覚があったそうです。

その時も、妹はベッドに寝ていて、私がその隣りにお布団を敷いて

寝ていたのですが、やっぱりお布団を引っ張られる感覚があったそうです。

妹が言うには、この部屋にはもともとお父さん以外の霊が

出てくることがあったと言うんですね。

私は、何度かこの部屋で寝たことはありますが、

今まで一度もそんなことはなかったです。

妹は、この部屋の前の住人ではないかと言っていました。

しかし、ともかくその日に妹が見た夢の中では、

父はニコニコしていたというのですから、

多分、父は喜んでいるのでしょう。

生前、父が一番心配していたことが、父の新盆までに

不思議としか言いようのないことが起こり、

すべて片付いたのです。

それには、父と同じ呼び名の方が、尽力して下さったのでした。

私は、このことには父の力が働いていたんだろうと信じています。

なので、妹がまた新たな悩みを抱えてはいるけど、

こうして一周忌のために家族のもとに帰ってくることができて、

本当に喜んでいるんだろうと思います。

で、話を戻すと、時間はまだ朝の4時過ぎだったので、

また眠りました。

今度は、私が2つ、夢を見ました。

一つは、その実家のお風呂のスイッチのところが、

ピョコーンと上に大きく飛び出してしまったので、

(ガスが漏れるかも!)と心配になり、(なんとかうまくおさまりますように!)

と必死で直した夢でした。

次の夢は、左手に何か水のようなものがピチャッとかかったので

見上げてみると、黄色のセキセイインコとブルーのセキセキインコが

交尾をしている夢でした。

それで朝、起きてから、そのことを妹に話すと、

母は指が痛いために、お風呂のガスの元栓を閉められないのだそうです。

それが危ないと思ってたと教えてくれました。

また、黄色いセキセキインコとブルーのセキセイインコは、

以前、飼っていたセキセインコだと話してくれました。

二匹はオスとメスのペアで、よく交尾をしていたそうです。

けれど、メスの方は卵詰まりで死んでしまい、本当に可哀想で、

父と二人で埋めに行って、手を合わせたそうなのです。

私の知らない、そういう思い出があったんですね。

今は天国で、そのセキセイインコたちは幸せに暮らしていることを

知らせたかったのでしょう。

父が亡くなってからも、父が守ってくれていることを

感じずにはいられません。

お父さん、ありがとう。

2013-10-29 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父のこと

昨年10月に亡くなった父のことを

今でも私はよく思い出す。

私が実家に帰る予定だった日の前日に

容態が急変して亡くなった父。

ずっと私のことを福岡で待ち続けていたのに、

私は、その父のささやかな夢を叶えることをしなかった。

そして、私は父の死に間に合わなかった。

あまりにも後悔が残ってしまった。

今でも、父のことを思うと、涙が止まらなくなる。

先日、父の法要で実家に帰った時、亡くなる少し前の

父の1枚の写真を、母が見せてくれた。

私がプレゼントした部屋着を着ていた。

亡くなった時も、父はこの部屋着を着ていたという。

その写真の父は、コタツのところでうつらうつらして

目をつむっていた。

その写真を見た時、

(ああ、父は今こうして眠っているんだなぁー)

と思った。

私がプレゼントした部屋着を着て、静かに眠ってるんだなぁー。

ありがとう、お父さん。

それが、せめてもの私の救い。

その部屋着は、今は私の手元にあって、寝る時には

枕元に置いて寝ている。

時々、父は私の夢にも出てきてくれる。

私も、死んだらその夢の中に溶け合っていくのだろう。

この前、母と実家の近くにあるモスバーガーに入ったら、

母はモスバーガーに入ったのは初めてだと言う。

それで、思い出した。

私がまだ20代の頃、父が東京の私の所に遊びに来た時に、

別れ際にマクドナルドに入ったことを…。

父は、たしか、

「よくこんなところで食べるのか? お父さんは、初めて」

というようなことを言っていたと思う。

そして、何年か前に、父が

「最近、お昼はよくマクドナルドで食べる」

というようなことを言っていた。その時、私は

(そんなおいしいものでもないのに、なんでマックなんか…)

と思っていた。

昼食代を節約してるのかなと思った。

けど、もしかしたら、父は私とマクドナルドで食べたことを

ずっと覚えていたのではないかと、はっと思った。

それまで、私はそのことは、すっかり忘れていた。

でも、父はハンバーガーを食べながら、

私と過ごした時間を思い出していたのかもしれない。

ああ、たぶん、そうなんだろう。

以前、父が

「お前とハンバーガー食べたことがあったなぁー」

と言っていたことがあった気がする。

そうだったのか…。

ごめんね、ごめんね、ごめんね、お父さん。

謝っても、謝りきれない…。

ごめんね、ありがとう。

いつも、私は父にその言葉を繰り返す。

2013-04-21 | Posted in 父のこと4 Comments » 

 

法要

昨日の夜は、実家に泊まりましたが、
寝ている間、「ザザァー、ザザァー」という音が
聞こえてくるんですね。
その音が、まるで打ち寄せる波の音のようでした。
朝になって窓の外を見てみると、窓の外には
樹木が強い風に揺さぶられてしなっており、
その音だったんだと気付きました。
そして、今日は父の納骨。
父の眠るその場所は、見晴らしが良くて
明るく、きれいな場所でした。
春には、桜が咲き誇る場所だそうです。
その場所でも、「ザザァー、ザザァー」という音がしてました。
なんだか心が落ち着きますね。
帰りは、自然食のお店でランチラブラブ
とても美味しかったですニコニコ

とても、開放的な空間。

Android携帯からの投稿

2013-04-14 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父の夢を見た

今日、父が亡くなってから初めて

父の夢を見ました。

最初は、父と母と私の彼が三人で

私を除いて話し合いをする夢でした。

母は、私の彼とは会ったことがありますが、

父と彼とは面識がありません。

それなのに、夢の中で話し合いをしていたなんて、

妙なものですね…。

それから場面が変わって、私が夜8時頃、外に出て

歩いていたら、向こうから父がやってきました。

それから家の中の場面になると、コタツに父が座ってました。

父の隣には、母が黙って座っていました。

私は、父に

「よかった~、もう死んだかと思っとったよ」

と言い、うれしい気持ちでした。

「お父さん、ムリせんで体を大事にせな、いかんよ」

と言うと、父は、

「そうやね、大事にするようにせんといかんね」

と答えました。

そこで、私はハッとして、

(あ、でも、お父さん、ガンだから、また苦しんで

死ななくちゃいけない…)

と思っているところで、目が覚めました。

一昨日、12日連続の仕事を終えて、疲れて帰宅したところに

母から電話があり、思わずイライラして母とケンカしてしまったり、

昨日は、三女と電話で、三女の夢の中に出てきた父のことを

話していたので、そのせいかもしれません。

「お父さん、私の夢の中には、まだ出てきてくれない」

と、私が言ったので、それで出てきてくれたのかな。

妹も、父が亡くなって1ヶ月後くらいに、

父が家に帰ってきた夢を見たそうなんですが、

とてもうれしかったそうです。

たぶん、母のことをよろしく頼む、という父からの

メッセージだったのはないかなと思います。

もちろん今日は、母に電話で謝りました。

父は、何かあっても、それを自分の肩に背負った上で、

私に受け取りやすいように話してくれるんですが、

母の場合は、その内容が未整理のまま丸投げで来るので、

けっこう精神的にはしんどいです。

「話を聞いてもらえるだけで、気持ちが軽くなるから」

と母は言うのですが、仕事で疲れて帰ってきた時、

夜遅い時間に電話がかかってくると、

「ごめん、疲れてるから」

と言って、早めに電話を切ってしまいます。

重要なことよりも、愚痴の方が多いんですよね。

そんな場合は、休みの日に電話をかけ直すようにしています。

もうちょっと私の身にもなってほしい。ε=(。・д・。)

2013-01-09 | Posted in 父のことNo Comments » 

 

父と私の地獄めぐり

先週の木曜日の夜から体調を壊しまして、

23日(金)と24日(土)、お店をお休みさせて頂いてました。

それまでピンピンしていたんですが、

以前、ブログでも紹介したことのある胡椒餅を買って

食べたところ、なんか固くなっていて、

全然、おいしくなかったんですね。

「おかしいなぁー、以前、食べたのと別物になってる。

もう二度と食べない!」

と言ったら、華陽園の中国人スタッフの一人が、

「あそこは今、売上が悪いから、売れてないのを

何回も温め直して出してる」

と言うではないですか!

そう、以前、食べたときは、パン生地がフカフカで

肉汁もジュワーッと出てきたんですが、

今回のは、固くて肉汁は出ないし、どうりでおかしいと思った!

それから3時間くらい経ってからお腹が痛くなり、

早めに帰らせてもらおうと思いましたが、

気持ち悪くて、「うーん、うーん」と唸るばかりで動けません。

しばらくして胡椒餅を吐いたら、やっと少しラクになりました。

それから家に帰りましたが、家に着くまでに2回も

駅のトイレに駆け込み、嘔吐しました。

家に着いたら、ストーブの前でガタガタ震えるばかりで、

何もできません。

熱を測ったら、38度1分。

その晩、熱はさらに上がって、39度近くまでになり、

一晩中、高熱にうなされていました。

翌日は、仕事を休んで、最寄りの救急病院へ。

診断は、「ウイルス性腸炎」ということでした。

点滴を受け、入院するかどうか聞かれましたが、

それほどではないと思ったので、家に帰りました。

おかゆさんを作って食べ、薬を飲んで、やっと熱も下がりました。

翌日も、本当はお店が忙しいので、休みたくなかったのですが、

もう少し胃腸を休めたいのと、頭痛もひどかったし、

ウイルス性なので人にうつすと申し訳ないということもあり、

お休みすることにしました。

休んでいる間、ずっと思っていたのは、先日亡くなった父のこと。

癌性腹膜炎で亡くなったのですが、とくに今年に入ってから、

父はどんなに苦しかっただろう。

どうして、私はそばにいてあげなかったのだろう。

ということを、ずっと考えていました。

2~3日、ウイルス性腸炎になっただけでも、

下痢や嘔吐、腹痛、高熱で、こんなに苦しかったのだから、

父は、どんなに苦しかっただろう。

おかゆさんを作っている時、そして食べている時に

感じたのは、生きることへの執着でした。

食べるということは、生きる喜びであり、

意欲であるのだと思います。

それができずに、長い間、点滴のみの栄養補給で、

父は、どんなにつらかっただろう。

父は、入院中、よく母にワガママを言って、

「あれを買ってこい、これを買ってこい」

と言っていたようです。

アイスとか食べたり、牛乳を飲んだりしていた様子。

入院する前も、自分で食べ物をすりつぶしたりして、

なんとか食べようとしていたようです。

亡くなる1週間くらい前に、末期のガン宣告を受けましたが、

三女から聞いた話では、父はお医者さんに、

死ぬ前にスキヤキを食べたいと相談していたそうです。

そして、どうやらスキヤキのスープとかを

飲ませてもらっていたらしいのです。

父の容態が急変したのが、午後2時過ぎ。

それまで安定していたのに、腸が破けてしまったのです。

もしかして父は、午前中かお昼に何か食べたのでは…。

その時間帯、家族は父のそばにいませんでしたから、

事実はよくわかりません。

でも、明日は私が帰ってくるし、私に元気なところを

見せようとして、もしくは前祝いのつもりで、

何か口にしたのでは…。

私は、ウイルス性腸炎で苦しんでいる最中、

そんなことを、ふと思いました。

「急に痛くなるには、何かきっかけがある」

と、感じとったからです。

父は死んでからも私にいろんなメッセージを

与えてくれました。

私が父の訃報を聞いて実家に帰る時には、

「パイノパイノパイ」のメロディーを。

棺の中から「おかえり」という眼差しを。

自責の念にかられる私に、死ぬまで私がプレゼントした

部屋着を着ていたことを、私がその部屋着を手にとることで

知らせてくれたし、マーガレットの花と一緒に写った

父の写真を遺影として私に選ばせたのも父だったと思います。

亡くなって10日後、夢うつつの状態の私に、まるで

「久美子、もう行くぞ」と言うみたいに、私の右肩をトントンと

叩いたのも、父だったと思います。

全部、偶然じゃないと思います。

苦しんでいる最中でひらめいたこの直感は、

もしかして間違っていないかもしれません。

今回のことは苦しかったけれど、父の苦しみのほんの一部だけでも

追体験することができ、私にとっては意味のあることだったと思います。

2012-11-25 | Posted in 父のことNo Comments »